葵学園二話11




徳川御三家の一角である水戸藩主は天下の副将軍または
水戸の副将軍と称されることが多い。
これは、水戸藩主の地位が他の大名と違って、参勤交代せずに
常に江戸に留まる定府が義務付けられていたこと、将軍の補佐役としての
色彩が強かったことなどから、そのように呼ばれるようになったとされる。

「副将軍」とは水戸藩主に対して与えられた正式な呼称ではなく、
上記のような事実から付いた俗称である。水戸藩主はそうした色彩の
強い立場ではあったため、幕府もこの俗称を半ば黙認し、例えば江戸市中の
講談師が徳川光圀を「天下の副将軍」と語っても、何ら取り締まりをしなかったという。
こうした説は俗説の域を出ないが、当時の水戸藩士はこれを強く信じていたという。
wikiより

というか実際には副将軍という役職は存在しなかった。