憂いの佐倉君0030

おわり

史実説明(雑)
江戸城での刃傷事件は浅野内匠頭長矩の話が有名ですが
実はそれ以外にもいろいろ殺傷事件は起きている。


その中のひとつに1684年、大老だった古河藩主堀田正俊が
青野藩主稲葉正休に突然切られる事件が発生。


堀田を斬った後、犯人の稲葉正休は無抵抗だったが
駆け寄った佐倉藩主大久保忠朝、忍藩主阿部正武、岩槻藩主戸田忠昌に斬られ死亡。
この際の稲葉が必要以上にメッタ刺だったと
わざわざ資料に載っているくらいメッタ刺。


この事件は生類憐みの令に反対していた堀田を
始末するために将軍が仕組んだ陰謀説など
いろんな説があるけど真相は謎。
なお事件の後、生類憐みの令は発布された。


無抵抗だった稲葉をなぜその場で殺す必要があったのか、
堀田を刺した動機を聴取してから死罪でよかったじゃん
って水戸藩主は事件後言っていたらしい。

いろいろ謎です。


ともかくこんな事件にも関わっている佐倉藩主。
以降の佐倉藩は安定した地位をキープ。
よかったね佐倉きゅん。