おわり
雑な史実説明
前橋にはもともと霊験があらたかという達磨があった。
前橋藩5代目藩主 酒井忠挙はそれを知り、お城の裏鬼門に
位置するところに達磨のお寺を建てたいと考えたのだが
寺院諸法度のせいでそれは無理そう…
そこで忠挙は御三家水戸藩主 徳川光圀に相談することを思いついた。
御三家からお願いしてくれれば幕府もお寺建築の許可を
出してくれると思ったから。
光圀もお寺を作ることにノリノリで知り合いの僧を紹介してくれるとも言ってくれた。
しかし、幕府が思ったよりも許可を出してくれない。
でもどうしてもお寺は建てたい。
そこで光圀はどうにかこうにか幕府を説得して
お寺ではなく道場のような何かなら建ててもOKという許可をもらって
少林寺達磨精舎が建てられたのだった。
正式な寺として認められるのは約30年後。
http://www.daruma.or.jp/
せっかく達磨寺を建てた前橋君だったけど
水害でゴタゴタしている間に なぜか達磨寺が高崎君のものに
なってしまっていて、それが現在の高崎だるま。
そしてその後、前橋君は川越君の部屋で暮らすように
なったりもする…